湿地の学校ネットワーク<ボルネオ編>

                参加者子ども感想文


 マレーシア 感想文
     愛知県立松平高等学校二年      杉山 賢太

 今回、マレーシアでの湿地交流に参加してふだん、日本では感じることのできないさまざまな経験をしてきました。 
 まず感じたのが、マレーシアの自然の豊かさと環境破壊です。
 サンダンカン上空から見渡した森には、たくさんの木々が生い茂っていてグネグネした川が流れていました。とても広大な森林があるんだと思いました。
 しかしきれいな列になって整備されている植物が目につきました。パームヤシといわれる木で、マレーシアの重要な産業のひとつになっていると聞きました。パームヤシは1年中収穫ができるため、熱帯林を切り開いて広大なパームヤシ農場を作っているそうです。肥料などから有害な物質が川に流れだし、川の水質を汚染したり、もともと住んでいた生きものの住みかを奪ってしまうそうです。お金になるからという人間の身勝手な開発で、かけがえのない自然が犠牲になっていると思いました。
 2日目に行った、オランウータンリハビリ施設でも、人間がペットとして売るために親のオランウータンを殺し、子どもだけ密猟するという話を聞きとても悲しくなりました。でも現地の人たちにも自分たちの生活があるので、自然を汚さないで生きものと共に生活することは、とてもむずかしいと思いました。



 2つ目に印象に残ったことはフィールドワークで、船でのクルーズ、マングローブの森や、観察センター内の森を歩いたときのことです。僕はマングローブを見るのが初めてで、まずその根の強さに驚きました。細い根に大人が乗ってもあまり曲がらず、とても強度があることにびっくりしました。川の氾濫が多く、流れに強いのだと納得しました。熱帯林には、日本では見られない野鳥や動物がたくさん生息していて、サイチョウやカワセミ類、テングザルとの出会いはとても感動的でした。こんなにたくさんの自然が残っている場所を、僕たちは絶対に失ってはいけないと思いました。



 遠く離れているマレ
ーシアでも日本に油や、食品を輸出しているため、日本の消費がマレーシアの環境に負荷をかけていることを忘れてはいけないと思い、少しでも環境にやさしい買い物を心がけようと思いました。   3つ目は、アジアの子供たちとの交流です。現地の子どもや、中国、韓国からたくさんの子どもが参加してくれました。初めて会った日から声をかけてくれて、英語は得意ではありませんが、何度も話してくれてなんとか理解できました。一緒に散策したり、船に乗ったり、食事で話したりする時間は、国や文化を超えてみんなが一つになっていました。 
 今回の湿地交流をとおして、生きものにとっての森林・湿地の重要性を再確認することができました。そして、湿地の周りに暮らす人々や、パームヤシ農園を見て、他の国が豊かになるために熱帯の森を切り開いているように思いました。なので、これ以上開発を進めないためにもマレーシアの現状を伝えていくことが大切だと思いました。湿地交流をこれからも続けて、世界の子どもたちといっしょに環境のメッセージを発信していきたいです。


私が今回の「アジア湿地の学校〈ボルネオ編〉」に参加して学んだこと 

              東邦高校2年 (劇団シンデレラ) 伊藤優衣歌

 私は3月14日〜20日まで、「アジア湿地の学校〈ボルネオ編〉」に参加してきました。 私が今回、訪問したのは、マレーシアのボルネオ島北部のサバ州北東部にある、ラムサール登録地、キナバンタンガン川河口のマングローブ林や熱帯林のジャングルです。そこで現地の自然や環境を観察し、また、湿地保全に関心を持つ、アジア六カ国(日本、韓国、中国、タイ、マレーシア、バングラディシュ)の子どもたちと交流してきました。

〈気候〉
 毎日、雨が降って湿気がすごく、ジメジメしていました。発表に使う紙が、持っているだけでフニャフニャになったのには驚いた。
 しかし、こういうボルネオの気候だからこそ、熱帯林が発達して、たくさん動物や植物がいるのだと思う。
 このような高温多湿の気候は、生きものの種類も数も多く、生物多様性の宝庫ですが、いま、生物多様性はものすごいスピードで壊されているのが現実で、私たち人間が、このような熱帯林を破壊していることにより「生物多様性」が乱されてしまっているのだと感じた。

〈産業〉
 パームプラントは熱帯林を伐採して作られてきました。そのパームヤシから採れるパーム油を輸出することで、マレーシアは外貨を獲得し、いまやマレーシアを代表する産業になっています。
 しかし、パームプラントによる行き過ぎた熱帯林の伐採により、森の栄養の元となる表土が流され、流れ出た土で川や海が汚され、さらには森が切り開かれたことで、オランウータンやゾウなどが移動できなくなっています。

 そうして採られたパーム油からできた食品(植物油で揚げたスナック菓子など)、洗剤、石鹸などは、日本でたくさんつくられています。そういうことを多くの日本人は知りません。私たちがふだん、何気なく使っているものが、ひょっとしたら熱帯林を伐採して、そこに住む動物を追い払って作られているかもしれない…ということを、まわりの人にも伝えていきたいと思います。そして、COP10でも大きな議題になった、生物資源保護の問題も考えていきたいと思います。
 近年になって、マレーシア政府も、できるだけ表土が流されないような、そして、動物の移動を邪魔しないような、パームプラント作りを指導するようになったそうです。また、企業にもそうした取り組みを始めるところが出てきたと聞きました。日本の消費者も、そうした企業の生物多様性保全の取り組みを応援するような消費行動がとれるようになるといいと思います。
 

〈経済〉
 物価がとても安いと感じました。
「日本人がマレーシアに来て食事をするときは5リンギットで食べられるけど、私たちが
JAPANで食事しようと思うと、30リンギットは必要だわ」「日本に行きたいけど物価が高い」とマレーシアの子どもたちも言っていました。
 でも私はぜひ、日本に来てもらいたいし、案内したいです。
 日本の干潟や湿地、里山、私たちの自然を思うミュージカルを見てもらいたいです。日本だけでは無理だけど、国際社会の協力で、経済的にも平等な暮らしができるようになるといいと思います。


〈国民性〉
 ボルネオの人たちは、みんな笑顔が素敵でした。荷物を持ってくれたり、体調を気づかってくれたり、とても優しい国民性だと感じました。歌やダンスが好きで、サービス精神が旺盛で、私たちを楽しませようとしてくれ、みんなと一緒にダンスができて、とてもいい思い出になりました。

 また、家族や仲間を大切にし、年長者や目上の人を敬う気持ちも強いと感じました。
日本の地震と津波の被害のことも、すごく心配してくれました。世界中が日本のために協力してくれている姿などをニュースで報道されているのを見て、すごく感動しましたが、ボルネオでいろいろな国の人たちが心配の声をかけてくれたのも同じぐらい感動しました。もし、他の国で地震などの自然災害などが起こったときには、私一人の力が、どのぐらいの助けになるかわからないけど、できることはすべて力になりたいと思います。

〈食生活〉
 マレーシアの人々は朝、昼、晩の食事に加え、プラス3回の軽食をとります。香辛料の強い、辛い料理が苦手な私には、ちょっとキツく、一生懸命もてなして出して下さった料理を全部食べることができませんでした。ただ、日本の「たいやき」みたいなパンは、とても美味しくて好物になりました。

 水道の水は飲んではダメだと言われました。水道の水が美味しく安全に飲める名古屋は、実はすごいのだと感じました。しかし、会議中でも、お茶の時間になると会議をストップして、みんなでお茶を飲む習慣は、とても驚いたし、おもしろいと感じました。

  



〈生活習慣〉

 浴槽につかる習慣はなく、シャワーを使います。しかし、そのシャワーもあんまり出がよくなくて、チョロチョロとしか出ませんでした(時々出なくなった)。しかも、お湯が出なくて、ずっと水だったのには困りました。
 多湿のため、トイレットペーパーが湿っていて、最初は泣きそうになりましたが、3日目ぐらいには慣れました。

〈ボルネオの子どもたち〉

 自分と同ぐらいの年の子どもたちが、看板を持ってバスの手配などをしているのを見て驚きました。私だったら、みんなをしきって案内することなんてできないし、尊敬の気持ちでいっぱいになりました。
 きっと、たくさん打ち合わせをして、準備してくれていたんだろうな〜と思うと、すごく嬉しかったです。
 

〈熱帯林〉
 熱帯林の樹は、日本の樹と比べて、とても高くて大きくて立派でした。鳥なども日本では見たことがないような色をした、きれいな鳥が飛びまわっていました。熱帯林に一歩入ると、鳥の声が響き渡り、すてきな音色に聞こえました。ピースフル・ピジョン(平和なハト)というかわいいハトの仲間が、私のお気に入りになりました。

 この熱帯雨林のなかには、私たち人間に発見されていない生きものが、まだまだ、たくさんいるのかもしれません。



〈オランウータンのリハビリテーションセンター〉

 森林伐採や密猟で親を失ったオランウータンの子ども(成長した大人もいました)を森に返すためのリハビリテーションセンターでは、孤児になったオランウータンが将来、森でちゃんと生活していけるように行われる訓練のことで、

 ・森に対する恐怖感をなくす

 ・木登りを覚える

 ・自分で森の中で食べ物を探す

 ・ジャングルに住む他のオランウータンとの関わり方を学ぶ

 ことが主な目的としています。

オランウータンの由来は「森の人」という意味で、そのオランウータンが、このような場所でリハビリトレーニングをしなくてはいけない理由は、森林伐採によって彼らの住む場所が失われ、さらに子どものオランウータンをペットとして売るために、母親を殺すという密漁が横行しているためです。オランウータンどうしが森の中で出会ことが少なくなり、繁殖も減っていき、自分たちの力だけで生き延びていくのが困難な環境に追い込まれてしまったからだそうです。これは、すべて私達、人間が原因です。 
 私が自分の活動のテーマとして一番やりたいことのひとつは、人間と動物が共存しながら生きていくということで、それはどれほど難しいことなのか、心が痛くなります。保護されたオランウータンは、自然に帰るための行動様式を学ぶため通常8年のリハビリ期間が必要で、そのうち森へ帰ることができるのは70%程度と聞き、私は、野性の厳しさを知ったと同時に、オランウータンたちを追い込んだのが人間であることに、なんともやりきれない気持ちになりました。ボルネオに行くまでは、「オランウータンの赤ちゃんはかわいいだろうな」と、軽い気持ちだった自分がふきとんでしまいました。
 飼育員の中には、オランウータンの赤ちゃんを自宅につれて帰り、24時間面倒を見るレンジャー もいるそうです。赤ちゃんには人間と同じようにミルクを与えたり、愛情を与えたりと、たいへん手がかかります。だれかがオランウータンを密猟したせいです。いくらリハビリテーションをしても、お金もうけの密猟者がいなくならないことには 事態は変わりません。
 密猟しなくても、経済が成り立つ状況に変えていくにも みんなの協力が必要だと思いました。
 

〈現地のエコツアー〉
 ボルネオにはいくつもの「エコツアー」がありました。今回、参加したエコツアーで一番楽しかったのは、ボートに乗ったことです。ものすごいスピードで 川に飛んでいきそうになり、マレーシアならではのワイルド感が体験できた。また、マングローブをボートから間近に見ることができ、それもとても楽しかったです。

 こういったエコツアーは、自然のことや環境問題のことを学ぶのには、とてもいい機会で、また、現地の人たちにとっては観光による収入にもつながっています。自然を目当てに行く旅行者にとっても、現地の人たちにとっても、とてもいいものだと思います。マレーシアから友達が日本に来た時は、藤前干潟を案内し、ぬるぬるドロドロをぜひ体験してもらおうと思います。

 

 

〈ゴミ問題〉

 私が活動している藤前干潟は、ゴミ問題から守られたところですが、ボルネオにもゴミ問題があることを知りました。
 ボルネオでは、ゴミを収集する仕組みがなく、海などに捨てているのを見て、とても驚きました。
 この問題解決のためには、多くの時間や資金が必要だと思います。日本にはすでにゴミ収集の仕組みがあるのだから、そうした日本の仕組みを伝えることも大事なことではないでしょうか。また、逆に日本には、そうしたゴミ収集のきちんとした仕組みがあるにも関わらず、海や野山に、不法投棄のゴミがたくさんあるのは、とても悲しく恥ずかしいことだと思います。

〈COP11に向けて〉
 昨年10月、私の地元、愛知県名古屋市において、「生物多様性条約COP10」が開催されました。次回のCOP11は2012年にインドで開催される予定です。絶滅したら取り返しのつかない生きものの保全活動は、国際協力が不可欠だと思います。
 今回、韓国、中国、タイ、マレーシア、バングラディシュ、各国の子どもたちの湿地保全活動の発表を聞いて、これからの環境保全に向けての協力体制に希望が持てました。それぞれのフィールドで、私たちと同じように、頑張っている仲間がいます。私は新しくできた友人たちとさらに交流を深め、もっと自然について話したいと思いました。
 私たちは、昨年の名古屋でのCOP10で「COP10ガールズ」という活動を行ったが、生物多様性保全には、まだ長い年月と道のりが必要だと思います。私の得意な歌やダンス、ミュージカルを通して、もっとたくさんの国の人たちに私たちのような伝え方の方法があることを知ってもらいたいです。

 

〈大切なこと〉

 毎回、海外に行くと驚くのは、どの国の子どもたちも英語力がすごいことです。そして、堂々と発表していて、圧倒されます。私は、そのたびに英語でコミュニケーションできるようになりたいと思います。
 「日本語が好き。教えて下さい」と言って、メモを片手に話しかけてきてくれる子もたくさんいました。
JAPANという国を少しでも好きになってくれたらうれしいです。「ナマ・サヤ・ユイカ」「スカ」など、私もいくつかのマレー語を教えてもらいました。
 コミュニケーションをとることで、仲も深まるし、相手を笑顔にすることもできる。そういうことは、とても大切なことだと思いました。
 たった1週間ですが、雄大な自然のなかでの暮らしは、最初はどうなるかと思いましたが、今回のことを通じて、水の大切さや、体調管理など、日本では当たり前のようなことが、本当はとても大切なことだということに気づくことができました。
 「アジア湿地の学校〈ボルネオ編〉」で、できた友だちは、これから先もずっとずっとつながっていたいと思います。そして、話し合いをしたこと、感じたことを、行動として動き出したい。その時、今回できた友人たちとも、本当の「友人」になれると思います。

Thank you for your kindness.

I do not forget memory all the time.

 

 

私たち子どもが、世界の人と出会い、話し合い、仲良く交流することは、生物多様性を守る第一歩になるのではないかと思います。今回 私を参加させて下さったラムサールセンターのみなさん、受け入れてくださったボルネオのみなさん、本当にありがとうございました。そして、一緒に参加した ゆかこちゃん、けんたくん、けんじゅくん、こはくくん また5人で集まろうね。

         



 湿地の学校<ボルネオ>に参加して
             南山中学校3年              吉井 友佳子

 私は、ボルネオにいくのは初めてで、オランウータンやサルなどたくさんの生きものを見ることができました。

コタキナバルウェットランドセンター
 ここの水は海につながっているため、真水ではなく汽水で、潮の満ち引きによって水の流れが変わります。道のわきにはカニやアナジャコが作った泥のお城がたくさんありました。
 マングローブは葉から塩を出すということを初めて知りました。葉に塩をためて葉を落としているので落ちていく葉は、展望台から見るとミカンがなっているように見えて、とてもきれいでした。マングローブの根は水がぎっしりと入っているので、とても重くて強いということも知りました。人が乗ってもびくともしませんでした。
展望台から見て、気がついたことがありました。それは藤前干潟のようにまわりが建物に囲まれているということです、ゴルフ場やビルなども見えました。都会の中の緑をこれからも残していってほしいと思いました。
 鳥もたくさんいて、小さな観察小屋ではとても近くで見ることができました。藤前干潟でも見たことがあるようなサギを見ることができて、日本とつながっているということを実感しました。
 水にはゴミが浮いていて、少し汚いのが気になりました。ゴミが捨てられているのは、フィリピンから来た不法滞在している人がゴミを捨てること、ゴミを収集することができないことが原因だそうです。こんな自然がたくさんあるようなところでさえも、人間によって汚されていっていることに胸が痛みました。

人々の生活
 地元の漁師さんの家に行きました。ドアがなく、木も傷んでいて、見た目はあまり良くありませんでした。しかし、どの家にもTVがあり、子どもたちが見ていました。私だったらTVを買う前に家を修理したいと思いましたが、そこに住んでいる人は家の見た目よりもTVの方が重要だと考えているようでした。考え方の違いなのだろうかと思いました。
 道にたくさん落ちていたゴミが目に入りました。ペットボトルやお菓子の袋など、どれも土に戻らないようなものばかりでした。雨季だったので地面はドロドロで、その泥の中にゴミは埋まっていました。埋まってしまったゴミはもう回収することができないのではないでしょうか。
 昔は生活していて出たゴミは捨てても土に戻ったり、肥料になったり、自然サイクルの中で姿を変えて、上手く他の生物のためになっていましたが、最近はプラスチックのゴミが出ます。それを食べ物などのゴミと同じように捨てても土にかえらないため、ずっとそこにあるのです。それがわかっていてやっているのなら、今すぐとめてほしいと思います。そしてゴミを回収するシステムをつくるべきです。もしわかっていないのなら、国や事実を知っている人が教えてあげてください。
 ゴミをたくさん出しているような私たちがそんなことを言うのはおかしいのかもしれません。でもせっかく残っている自然をすすんで壊してしまうようなことはして欲しくないです。

プランテーションと動物たち
 飛行機からボルネオを見たとき、緑が多くて驚きました。しかし、それはとてもきれいな列で並んでいたので、人が植えたものだと一目でわかりました。
ぱっと見ると緑が多くてきれいな国だと思いますが、実はパームオイルを取るために、森林を伐採して、そこにパームを植えているのです。森林に住んでいた動物たちは、住む場所を人間に奪われてしまったのです。
 しかし、私たち日本人は、このような森林を伐採して作っているパームオイルを何も知らずに輸入しているのです。まったく関係のない人達のせいで、動物たちが苦しんでいるのです。おかしな話だと思います。だからといってパームオイルを輸入しないと私たちも困るし、これでお金をもらっている人たちだって困ります。このことを多くの人たちに教えて、みんなで解決方法を考えていくべきだと思います。
 人々が何かを求めるからこうやって自然破壊が起こるのですが、だからといって、それがなくなれば多くの人が困るでしょう。一人一人が少しずつ工夫して、自然に優しくすることで、少しずつでも何かが変わるのではないでしょうか。
私は劇団シンデレラで劇という方法で、今地球上起こっていることを伝えていきたいです。

マレーシアの人、子どもたち
 マレーシアの人たちは音楽や踊りが大好きでした。お別れパーティーのときには、これでもかというほど踊りました。もう3年は踊らなくてもいいと思います。部屋でもギター片手にずっと歌っている子がいました。
 みんなで踊っているときには国の言葉の壁を越えてみんなで楽しんでいました。
同じ部屋には、地元の子がたくさんいました。だから、ドアを開けっ放しにしたり、夜中にギターを弾いたり、日本人の常識では考えられないことばかりでした。
でも、わからない国の言葉でみんなが話しているのを聞いているのは楽しかったです。
 もっとたくさんの人々が自分の国以外の国で起こっている問題を知るべきだと思います。だから、このような機会があれば積極的に参加して、より多くの人にいま日本で起こっていることを伝え、他の国ではどのようなことが起こっているのかを見たいです。
 今回、地震があって多くの人が「あなたの家は大丈夫?」とか「家族は無事?」とか話しかけてくれました。こうやって世界中の人が日本のことを心配してくれていることを知って、日本には救ってくれるたくさんの国があるのだと実感しました。 私も、もっと世界のことを見つめられるようになりたいです。そのためには、日本のことももっともっと勉強して、世界の人たちに伝えたいことを、良いことも悪いこともたくさん見つけていきたいです。


 湿地の学校 ボルネオ編 に参加して
                           東大津高校1年   山本賢樹
 
 私が今回参加したのは、アジア各国から湿地で活動する子供達が集まる「湿地の学校ボルネオ編」という交流イベントです。私は熱帯林やアジア各国の湿地について学び、自分の活動や琵琶湖のことを世界にアピールするために参加しました。
コミュニケーションをとる唯一の手段は英語で、今までの私は、どうしても恥ずかしがって、海外の参加者と話ができないことも多かったので、今回こそは積極的にコミュニケーションをして他の湿地のことを知ろう!と思い、必死に英語を使って、海外の参加者に自分から話しかけるようにしました。
熱帯林の昆虫や植物について質問したり、英語で解説してくださっているのを聞き取ったりして、多くの知識が得られた。私が日本で捕まえたクワガタの写真を見せて「日本のクワガタはここのより小さいよ」といって話をすることもできた。英語というのは、交流をするにあたってとても便利なツールだなといまさらながら実感しました。同じ班のマレーシア人の、イクラムくんとも打ち解けて本当に楽しかったです。
私は同じ滋賀県出身の日田琥珀くんとともに、琵琶湖の紹介をしました。「せっけん運動」の説明では、参加者全員が真剣な眼差しでスクリーンを見つめていてくれました。私の発表で、ほんの少しでも世界の湿地が変わればいいなと思いました。
※せっけん運動
1970年代、リンを含む合成洗剤が普及し、生活排水という形で琵琶湖に大量のリンが流れ込みました。富栄養化によって悪臭を放つ赤潮が発生し、魚が大量死しました。危機感を感じた滋賀県の人々は、リンを含まない粉せっけんを使おうという運動を始めました。
そして、滋賀県はリンを含む合成洗剤の販売と使用を禁じる「滋賀県琵琶湖の富栄養化防止に関する条例」を施行しました。この運動は滋賀県内にとどまらず日本全国にも広がりました。

私達が泊まった宿泊施設は、少し小高い土地にあり、熱帯林の中に建てた自然にあふれていた所でした。常に鳥のさえずりが聞こえ、わざわざ探しに行かなくても、窓から電線を渡るリスが見え、部屋を緑の鮮やかなトカゲが歩いていました。その一方で、下水道が整備されていないため、シャワーを浴びるときに石鹸を使わないように気を使いました。   _

 宿泊施設                  宿泊施設から見られる熱帯雨林
 
 テレビでしか見たことがない熱帯雨林に足を踏み入れると、そこで見た鳥、植物、トカゲ、虫、すべてが私の目に新鮮に映りました。観察センターでは、日本のペットショップで売られているようなカブトムシの標本があって、「店で見たこの虫は、ここに生息していたのか」と思ったのが印象に残っています。
 私は少し前まで「マレーシア」というと、一面に熱帯林が広がっていて、まさに自然の宝庫、といったようなイメージを持っていました。ところが、現実は違いました。飛行機から見えたマレーシアの土地は、熱帯林は多くが伐採され、プランテーションへ姿を変えていました。
 プランテーションからとれるパーム油は多くの食品に使われます。私達先進国の人間たちはそれらの食品を毎日のように消費しています。しかし、そのパーム油を調達するために破壊された熱帯林があることは知りません。私もその一人でした。パーム油を作るマレーシアの人々が悪いというわけではなく、パーム油が作られるのは、先進国がそれを必要としているからでもあります。色々と考えましたが、パーム油を使うことが良いことなのか悪いことなのか、私にはわかりません。しかし、先進国のニーズで熱帯林が破壊されている現状を日本人は知るべきだと思います。私はこの事実を多くの人々に伝えなければいけないと強く感じました。

 キナバタンガン川周辺の熱帯雨林
 (画像出典 ボルネオ保全トラストジャパンHP)

 熱帯林は大部分がプランテーションに開発され、キナバタンガン川周辺にはわずかに残されているだけでした。生息地の分断が進むと遺伝的な多様性が低下し、種の減少に拍車がかかるそうです。スマトラ島、ボルネオ島などに生息するスマトラサイの個体数は、合計しても400頭以下と推測されています。現在マレーシア政府は熱帯林を保護する政策に転換していて、NGOによってプランテーションを買い取って分断された生息地を繋げようという運動も行われています。
 今回のプログラムで最も印象に残っていたのは、水上生活を営む村を訪れたことです。この村はマングローブ林のすぐ近くの、湿地の上に家があり、そこで暮らしています。最初は、自然と共存しているような印象を受けました。おもしろいことに、ここのトイレは床に穴を開けただけという簡素なもので、「随分野生的だな」と思いましたが、そのまま下に落ちた排泄物は自然の力で循環されるオーガニックな仕組みです。もちろん生ごみも魚が餌として処理してくれます。
 自然と共存しているように思えますが、そうとは言えないような光景も目にしました。女の人が、窓からためらいもなくビニール袋のゴミを捨てていたのです。日本では当然許されない行為だし(それでもポイ捨てする人はいるが)、ボランティアでゴミ拾いをしている私には琵琶湖にゴミを捨てる人間は許せません。この時は、どうしてゴミを捨てているのかはっきりとした理由はわからなかったが、ただ面倒臭いからと横着してポイ捨てしたのではないだろうと思い、非難する気持ちは生まれませんでした。
 中村玲子さんに、どうして湿地にゴミ捨てる人がいるのか聞くと、日本のようにゴミを回収・処理するシステムが完璧でなく、「ゴミを湿地に捨ててはいけない」という観念もないのかもしれない、とのことでした。

 
生活排水で濁った水                   



 分解されずに残っているプラスチック

 もちろん、水上生活を営む村に下水道が整備されているわけもなく、生活排水はそのまま湿地に垂れ流しています。自然の力では完全に処理しきれず、よく見ると水がかなり濁っていました。湿地に捨てるという形で「処理」されたプラスチックも、分解されずにずっと自然の中に残るでしょう。
 どこの国でも豊かになった生活の代償は、必ず環境破壊という形で現れています。生活の変化に対応できず、人々は何も知らずにゴミを捨てます。かつて、捨てたゴミは自然に処理されて暮らしていけたのでしたが。日本にも高度経済成長という著しく環境を破壊した時代があります。それによって絶滅した生きものがいるし、公害病で多くの人々が犠牲になってきました。トキを見ればわかるように、一度絶滅した生きものを自然に蘇らせるには莫大な費用と時間がかかり、必ずしもその試みが上手くいくとは限りません。後になって気づいてからでは、失われた人命や、絶滅した生物は取り返しがつかないことを、我々日本人は痛いほど思い知ったはずです。
 熱帯林が伐採されプランテーションになっても、いまだに自然が残されているマレーシア。しかし、この国も日本と同様、まだ多くの課題が残されていることが分かりました。自然の中にゴミを捨ててはいけないということさえ、知らない人が世界にはいるということに、私には衝撃でした。そのことに早く気づいてもらうには、気づいた私達が伝えなくてはいけません。私が発表したとき、せっけん運動の説明で、参加者全員が真剣な眼差しでスクリーンを見つめていました。私達は湿地交流に参加し、世界中の人々に伝えなければいけないことがたくさんあります。
これからも湿地交流に参加しようと思います]。


 参考ページ
ボルネオ保全トラストジャパン  
http://www.bctj.jp/
ナショナルジオグラフィックチャンネル スマトラサイ
http://www.nationalgeographic.co.jp/animals/mammals/sumatran-rhinoceros.html


 湿地の学校(ボルネオ編)に参加して     
                   栗東市大宝西小学校6年    日田琥珀

 3月16日(ボルネオ)
 今日はいよいよ会議です。開会式会場へ行った瞬間、とても気持ちが引きしまった気分になりました。マレーシアの人が話す言葉は、単語、単語でしか分からなかったけれど、劇なども披露してくれて、とても華やかでした。
 そのあとの熱帯雨林の観察では、「これぞ!本物の熱帯雨林!」と心にグッときました。とてもムシムシしていて、どこからか小鳥の声も聞こえてきて、今にもテングザルが出てきそうで、僕は心躍るようでした。
 この日の午後は、オラウータンリハビリテーションセンターへ行きました。そこでは、類人猿たちの衝撃的なコミュニケーションを見ることができました。オラウータンが木の上に座っていたときに、ブタオザルがひもを揺らしたので、オラウータンが怒って、そのひもにぶら下がっていたブブタオザルを揺らして落としたのです。
 さすが類人猿の脳は、どのようにすれば、どうなるかという予測が立てられていて、考えや行動が人間と似ていると思いました。
 夜は湿地の発表の時間でした。5ヵ国の子どもたちが行っている活動を知り、とても参考になりました。とくにマレーシアの子どもたちの発表は、楽しませる雰囲気もあり、堂々としていて、聞きやすかったです。ぼくの発表は2番目だったのでとても緊張しましたが、山本君の助けもあって、ぼくなりに、よくできました。
 この日はとても忙しい日でしたが、発表という大きなイベントが終わり、本当に充実した1日になりました。
 3月17日
 朝ご飯を食べて、すぐにバスに乗り、約1時間で大きな川に着きました。その川は飛行機から見た迷路のような川で、不透明に茶色くにごっていました。
 船に乗りこみ、20分ほどたったら、水上に浮かぶ家が見えてきました。そこは写真集や本の中でも見たような家の様子が並んでいました。
 大人は魚やエビをさばいたり、つぶしたりしていて、子どもはゴムのパチンコで魚を打っていました。それは、ぼくにとって夢のような生活で、ぼくもあのような家にぜひ住んでみたいと思いました。
 その中で印象的だったことは、トイレには穴があいただけだったこと、川にたくさんのゴミが捨ててあったことでした。このゴミは、かつて琵琶湖が経験した汚染と同じように、また洗剤がそこでは使われていたので、やはり大きな環境問題につながっているのだと思いました。
 いつまでも美しい平和な村であってほしいと思いました。
 3月18日
 この日はマングローブ湿地へ、また船で向かいました。ぼくはこの川が大好きになり、心、躍る1日が始まりました。湿地クルーズでは、マングローブの中を船で見て回りました。これがまさしく「ジャングルの川なんだ!」と思い、感激しました。
 夜は、1番楽しみにしていた文化交流会でした。ぼくが黒いロングのはっぴの忍者の服装を着ると、マレーシアのみんなが「忍者」と言ってくれたのでうれしかったです。「ナルト」という日本の漫画で忍者を知っている人が多いことを知りました。
 そしてマレーシアなどのダンスは、とても楽しいダンスが多く、どこの国の子どもたちもノリノリで、ぼくも自然にノリノリになりました。この日はさらにいろいろな人と仲良くなれて、本当に楽しい1日となりました。
 3月19日
 今日は、閉会式です。閉会式では代表として、山本君が発表してくれました。山本君が話していることは、とても大切なことを言っていると思いました。泣いている人が何人かいて、ぼくも別れが本当に悲しくなりました。


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